お母さんありがとう案件
3年前まで福岡で働いていたのですが、どうしても東京で働いてみたくて両親の反対を押し切って上京してきました。
とくに父親はとても反対しました。
そして上京の日、母親がそっと封筒を父に見えないように渡してきました。
そこには上京の支援金と、一言…「遠いけど、いつも味方の家族がいることを忘れず、自分らしく頑張ってね。連絡してね。行ってらっしゃい」と書かれていました。
泣きながらバスに乗りました。
あれから3年経ち、今年からひとりで開業し独立をしました。
今となっては、父も母も「やりたいことを精一杯やれている娘が元気でいてくれるのが一番」と言って応援してくれます。
自分が歳を取るように、父も母も歳をとり、たまに会う時には白髪が増えしわも増えました。
自分も両親も、いつ死ぬかわからない毎日。顔を合わせられないからこそ、まめな連絡を欠かさないようにしています。
母の日は、カーネーションの花束を送ります。
3年前にもらった封筒に書かれた言葉は、切り抜いて財布にお守りとして入れています。私ができる親孝行は「子供が元気で健康で精一杯がんばっていること」だと思って今日も一生懸命働いています。
はっちんぐ
女性/37歳/東京都/自営・自由業
2014-05-08 17:22