ニッポンのミライは
高校生の頃。
モモはバンドでベースを弾いていました。それなりに本気でプロを目指していたんですよ。特に当時の人気バンド『C』の大ファンでした。
高3の夏に、泊りがけで行く『C』のバンドクリニックに参加しました。バンドクリニックとは憧れのプロから直接、演奏の 指導を受けられる講習会イベントのことで、当時は楽器屋さんの主催でよく開催されていました。
三重県のリゾートで2泊3日。
行きは新幹線でしたが、帰りは仲良くなった大学生のグループに乗せてもらい東京まで車で帰ることになり。たまたまフェリー乗り場で『C』の楽器を積んだスタッフさんのトラックと隣あわせになり、こちらから声をかけ、フェリーの時間まで、みんなで近くの遊園地へ遊びに行くことになりました。
スタッフさんの一人は【ヒーさん】と言って『C』ファンの間では、ライヴ前の前説がやたら面白いことで、有名な人でした。
ヒーさんもプロを目指しているベース奏者ということを知って、僕らはすぐに打ち解けて、芝生に座って、本当に楽しく、いろんな話をしました。
好きなベース奏者の話。好きな音楽の話。ベースの奏法の話。もちろん『C』のメンバーの裏話なんかも。
ふいに、ヒーさんがコボシはじめました。『C』のスタッフはバイトだし、大学もダラダラ留年しながら通って、プロのミュージシャンにはなりたいけど、まるで先が見えない。どうすればいいかもわからない。などと。
「 暗い話してゴメンな!」と最後は笑顔で立上がって行ってしまいました。
あれから30年あまり…
僕は耳を悪くして、料理の道に入り。
ヒーさんはお笑い芸人を経て、バンドデビュー、バンドは解散し、ラジオDJばかりやってた時期もあったけど、今にいたる現在、パフォーマー兼 作曲家・音楽プロデューサーとして活躍されています。
1999年かぁ(笑)
ヒーさん最大のヒット曲。
ヒーさんが想い描いた形かどうかは知らないけど、夢は叶ったんじゃないかな。
想い続ければ夢が叶うとは、必ずしも限らないけど、想い続けた人にはチャンスがある。
ミライなど、どう転ぶかわかりませんよね(^◇^)
コーギモモ
男性/57歳/神奈川県/飲食業
2017-03-10 02:15