今日という日を…
その時、東京の平和島にいました。前職の製品出荷準備が終わり、倉庫でトラックを待っていた時の事です。
シャッターを叩くような音が聞こえたので「五月蝿い!叩くな!!」と怒鳴ったのに鳴り止まない…、目の前の壁を見ると揺れているように見えました。地震にしては大きいな?と思ったところに大きな揺れが来ました。
同僚に「屋外へ出ろ!建物から離れろ!」と良い外に出ました。地面が電車の連結器に立っているように揺れて、倉庫街に停車中のトラックがグラグラ揺れて、乗用車の盗難警報のクラクションがあちこちで鳴っていました。
経験の無い長い時間の揺れ、とんでもないことが起きたことを確信しました。長い揺れが収まると、余震に次ぐ余震、間も無く携帯電話は通話不能になり、メールのみのやりとりの開始、翌日の設置ができるか確認も取れないので、とりあえず予定通りに現場へ行って、被害があれば引き返すと指示して自宅へ向かいました。
普通ならば渋滞しても1時間半の道のりですが、道路は歩いて帰宅する人達が車道にもあふれて大渋滞、8時間かけてやっと辿り着きました。
その間、報道番組から伝えられる情報で災害が如何に酷いものか、どれだけの人々がこの寒空に家を失い、生きるためにさまよい、そして命を失ってしまったのか、ラジオの音声情報で浜に100人を超える遺体が打ち上げられたと言っていたのが耳に残っています。
その後、東京でもガソリンが無くなり、日用品が無くなり、電力供給制限もありました。でも実際の被害を受けた千葉から東北地方の方々の苦難には比べられるものではありません。
亡くなられた方々に手を合わせて、未だに住んでいた場所へ戻れずに苦労されている方々を助け、これから先に起きるであろう同等以上の災害への備えを勧められる国になるように1人の国民として考えて選択していきます。
FUJI2
男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2017-03-11 09:18