3.11
私は職場(物流会社)のあった浦安であの時を迎えました。「地震だぁ!」という声が聞こえて、「またか!?」と言っていたら、その揺れは長かった!テレビをつけて画面を見ると信じられない、東北の津波の映像。
「これ嘘だろ?」っていう感じでした、陸地へどんどん浸食していく海水!映画かな、と思ってしまいました。その後、職場である倉庫の中に入って見てみると、冷蔵庫、液晶テレビ、洗濯機、エアコン等々ことごとく床に転がっていました。その日は、危険という事もあり、いつも22時くらいまで稼働していた会社を17時に退社です。車通勤してたので、帰りは車で帰りました。混んでいることはわかっていましたが、いつもなら、20分もあれば余裕で帰れるのに2時間近くかかり自宅に着きました。
家族も全員無事で「よかった」と本当に思いました。
翌日から、自転車での通勤に変えました。毎日、後片付けやらで遅くなり、そして計画停電もあったりで気持ちが暗くなりがちな中、「負けるもんか!」と叫びながら、街灯がついていない道路や舞浜大橋を走っていました。
今は、その当時の面影は全くと言っていいほどなくなっています。私の中でも、少しずつ記憶が薄れてしまいがちですが、毎年、この日を迎えると「あの当時は・・」と思い出して気持ちを新たにしています。私は阪神大震災も経験してます。あの時はどちらかというと支援側でしたが、今回はあえて言うと支援される側でした。本当に人の善意や温かさを感じました。
今後も地震国の日本。いつ、どうなるかわからない中、改めて何気ない日常のありがたさを感じて日々生きてたいと思います。そして、いざ、事が起きた時、家族第一で行動したいと思います。
にじパパ
男性/65歳/東京都/会社員
2017-03-12 00:06