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生命倫理最高ww

高瀬舟を題材に、尊厳死や人の死について考えました。脳死は人の死といえるかや、臓器移植の意思表示について
ちなみに脳死は人の死ではないと考えました。最近、文学や美術、民族学に興味があり、ある展覧会にいったとき、デザイナーが永遠をデザインの線や、生地の印刷から表していると。あと、本読んでいて、人の価値観や思想は文学や美術によって、生き続け、変化するなと最近考えています。このことから、人が遺書を書く意味、医療的なケアの意思表示みたいな生産的なものではなく、もっと、違う理由、効果にも興味があります。文学という学問がなぜできたかとか。そっから、葬式とか、文化人類学にもつながるなと思います。人間は集団の中で生きている限り、自分だけの命ではないなと感じるので、脳死は人の死ではないと。まあ、看護師、医療者になったら、脳死の定義、対処は、医学的なものに従わなければならないんでしょうが←
あと、脳死は、高度医療下でしか起こらないので、人工呼吸器の設備、高度医療がないと成り立たないことから、途上国ではない概念なのだと。興味深いですね。脳死から、臓器提供や人身売買にもつながるし。高瀬船からは、人の欲は無限であることや、既存概念を疑えということを読み取り、鴎外は医師であったことから、尊厳死についてつながりました。まず、この授業を考えた教授に拍手を送りたいwやっぱ、医療者じゃないからかね← その教授、自分が行きたかった大学、大学院かつ、自分が行きたい分野での教授らしいですwwメールでラブレター送ろうかなw← 春に、ガーナに行って尊厳死が認められている、オランダ、ベルギ―、ルクセンブルクの看護学生にあったら、聞いてみたいなとか、スペインは臓器が多い国だけど、意思表示が、承諾ではなく、拒否、つまり、拒否表示しなければ、臓器提供賛成になるのが関係してるとか。人間の拒否と承諾での意思表示での結果に違いについても、医療に限らず、言語や心理系だと思うし、興味深い。あと、この教授の医療のとらえ方、授業形態と、今読んでいるオースティンの高慢と偏見w 人間の客観性と主観性についてや、医療者の患者に対する偏見やそこからつながる医療事故やケアの質に興味がありますw人間の客観性って存在するのかとかもw
原爆文学で、原爆の当事者と非当事者では、そこに描かれるジレンマ・文学の魅力が異なると。看護師、文学に似てるw

よしあゆ

女性/29歳/東京都/看護師
2017-06-29 02:06

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生命倫理の講義はその昔教授とガチ討論したな(笑)

死生観とか救命だって極論個人の価値観の問題ですし。

何が何でもコマンド「いのちだいじに」の時代は終わりました。

それでもそれぞれが自分なりに考え続けることが大事な分野でもあるんですよね。

こくまろ

男性/40歳/神奈川県/耳なしアルケミスト
2017-06-29 02:39

生命倫理は、押し付けない、思いやる、オラトリオ← で、いいと思う。
死という終着と、生の執着を自覚し、自分は大悟した、と祝着の錯覚をしたいのだろうヽ( ̄▽ ̄)ノ←

私にとっては、不当に奪われない、自ら蔑ろにしない、自分の人生に納得し、死出の旅路に、一歩を踏み出せること。

まー、ヒトに迷惑かけんな、ってことで(* ̄ー ̄)←

黒白熊猫

男性/40歳/埼玉県/しろ
2017-06-29 07:36