鷹から生まれた土鳩としては…
徳島を離れる前に父親と食事して来ました。
父親は小さな出版社で編集をやっていました。当時の編集者は会社も認めていましたので、本業に問題が無ければアルバイトができました。相当飲み歩いていたことは確かで、クリスマスシーズンになると毎晩とんがり帽子や鼻メガネ、クリスマスケーキをバーやクラブから土産に持って帰って来ました。
父親は会社の経費で酒を飲んではならないと言うポリシーがあり、作家さんと打ち合わせのお茶代は会社の経費であっても、酒となれば自腹であるべきという人でした。
会社の若い人たちにボトルの置いてある店を教えていつでも飲んで来いとしていたそうで、池袋と新宿と銀座にかなりの数置いていたようです。お店からの年賀状が塊で来るくらいの数だったようです。
金は使ってナンボのもの、1人で抱えればそれだけでしかない、でも若い者に社会に広く使えば、誰かの役に立ち、巡って自分に帰るということで使ったそうです。
ある日、部下の1人が父親に「奥さんからお金を借りていました」と言ってきたそうです。父親は母が部下たちにお金を貸していたことは全く知らず、安い給料のために内職をしていることも知っていました。父親は「俺に話したことは黙っとけ、あいつがした事に何も言う事はない、ただ不義理だけはするな、逃げるような事はするな」と言ったそうです。
実際に、多くの部下達が金に困ると母の所に来てお金を借りて行ったようで父親は「これが凄いところなんだ、俺は全く頭が上がらんのだ」そして「だから、もっと色んなところに一緒に連れて行きたかったのに…」
母はここ5〜6年は歩くのが困難になっていましたので、出かける事が出来なくなっていました。
父親は心の何処かで母の最期を認識したようです。ただ昔から自分が先に逝くと思っていたのでショックだったと思います。そして、その時が来ると父親の終末へのトリガーが入るのだと認識しました。
父親に「お前は何か不安な事はあるのか?」と言うので、親よりも先に逝くと言う親不孝をしそうな事だと言いました。こっちは老後の心配などするほど生きられるとは思えないから、そっちが長いと納骨までの面倒を見きれないと言うと笑っていました。
父親とサシで食事したのは初めてでした。
FUJI2
男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2017-07-23 02:25