甘やかし案件
お疲れ様です!
自分は、いとこ連中の中で最年長、ということは、両親の両家それぞれにとって初孫、という境遇に産まれました。
家族は東京住まいで、自分は東京生まれの東京育ちです。 父方の実家は山形(市内)で遠かったことから、祖父母に会えるのは盆と正月くらい。それでも祖父母は揃って中、小学校の先生ということで、お年玉くらいはもらえましたが、躾に厳しく、あまり甘やかされた憶えはありません。
母方の方は東京(杉並区)で、3歳になるまでは近所住まい、それ以降は自分が八王子住まいで、遠くはなかったので、よく母親に連れられて祖父母宅へ行ったものです。幼少の頃は、祖母とは新宿で会うことも多く、そういう時は、デパートの食堂で大好きなソフトクリームをご馳走してくれました。買ってもらうおもちゃは決まってプラレール。電車好きの、よく居る男の子でした。
小学校に上がってからは、プラモデルなど、物を作るのが好きになり、あれこれ買ってもらっては、組み立てて遊んでいました。
それが次第にモーター付き、リモコン付きとエスカレートして行き、電気仕掛けのプラモデルにハマって行きました。
さらに4年生くらいになると「電子ボード」なる学研の実験セットを買ってもらい、トランジスタラジオやワイヤレスマイクなどを組み立てては、自宅のFMラジオから自分の声が出せる!、などと喜んで遊ぶ小学生に育ってました。
それは当時、小学生に買い与えるには値の張るおもちゃでしたが、母方の祖母は、「この子はね、買ってやった物を無駄にしないのよ。」と言って、惜しまず買ってくれました。
今思えば、あれが自分の進学先や就職先を決定付けた、おもちゃでした。その後の自分は、普通高校よりも、国立の5年制高等専門学校(電子工学科)への進学を選び、大手電気メーカーに就職したのでした。
案外簡単な出会いで、自分の場合は将来を決めちゃったなと、振り返ってみて思いました。浅はかだったかな?。(^。^;)
のんびりタック
男性/64歳/東京都/スカロケスポーツサイクリング部
2017-08-14 16:52