西東京市…
ここは未だに不発弾が見つかり、1年に1回くらいの割合で爆弾処理が行われます。
武蔵野市にある通信研究所と公園は中島飛行機(現在のスバル)の開発製造拠点があったところで、戦争中は度重なる空襲を受けたそうです。
狙いを外れた爆弾は周囲の畑に落ち、柔らかい場所に落ちたもののいくつかは不発弾になったようです。
中島飛行機は隼や鍾馗、呑龍の開発を行ったところで、その建物が電電公社の研究所として使われていた時に仕事で出入りしたことがあります。
コンクリートの壁厚は1m、屋上は250キロ爆弾の直撃でも破壊されないスラブを支える設計になっていました。
戦前の主要施設の建築物からも学ぶことはたくさんあります。
FUJI2
男性/66歳/東京都/自営業と自由業は違うんだぞっと…個人事業主さまは言ってみる~
2017-08-15 09:38