乗り越えるのが人生。小さな幸せに気づけるように
初出場、初出社です。今年から、入社させていただいています。そもそも、弊社スカロケに出会えたのは、車のナビが壊れ、困ったなあと思っていたのですが、なんとなしにラジオを聞きはじめたのがきっかけでした。本部長のことは、前からTVで存じておりましたが、その軽妙で、いい加減で、真剣なトークと秘書とも掛け合いに、あっというまに魅了され、radikoで通勤時も聴くくらいになってしまいました。人生、出会いですね。私は、自分の人生に納得しています。
今年、43歳になります。小学校で働いています。私は数年前から、急に目が見えにくくなりました。それは、運転がしにくくなるほどで、大学病院に行きましたが、なかなか病名すら分かりませんでした。病院を変えて調べてもらい、、病名が分かりました。網膜色素変性症。難病指定されている、進行性の病気で、今の医学では、治らない病気でした。それが分かった日、お昼ご飯のサンドイッチを食べながら、泣きました。私には、妻と中1の娘がいます。家ローンも7千万あります。仕事も好きで、子ども達と毎日、休め時間には、バスケをしていましたし、読書も大好きでした。今では、自分の手を伸ばした位置までしか見えないので、球技も読書もままならなくなりました。もちろん、運転免許は失効。老後、オープカーに乗る夢も潰えました。はっきり言って、仕事においては、教科書が読めなくなってきました。通勤も、まだ杖をつかず 自力で歩いていますが、車どめにはつまづくし、人さまを避けるので精一杯です。信号機も見えません。あと、何年、私は、この大好きな、もちろん、仕事は大変ですし、パソコンも拡大鏡を使って人さまの何倍も時間を使いっていますが、小学校教師を続けられるのか、今年までかもしれませんし、まだ10年先まで続けられるかもしれません。先は見えませんし、家族を養う責任もあります。それでも、だからこそ、私は、自分のこの人生に納得、いや満足すらしています。
目が悪くなり、できなくなったことは膨大にあります、もっと上手くできるのに、と歯痒いことは当然ありますし、正直、死にたいと考えたことも、数え切れません。でも、目が見えなくなったからこそ、分かったこと、見えてきたことも多くあります。クラスの子ども達とは、筆ペンを使って字を書いてくれます。とてもありがたいです。わざわざ、黒いノートに白いペンで書いてくれる子も。
ワンダホー熱男
男性/51歳/神奈川県/会社員
2017-08-24 17:00