社員掲示板
案件
皆様お疲れ様です。
本日の案件、私の10年案件~あの時、あの人にありがとう
私は母方の祖母にありがとうを言いたいです。
今から20年程前、私の父が自分で事業を始め、母もそれを手伝うため、まだ小学生だった私と兄のために岡山から千葉に来てくださいと父が祖母にお願いしました。
当時まだ岡山で教師をしていた祖母は、40年の教師生活に幕を閉じました。
そして私が小学3年生の頃から一緒に住み始めました。
父の事業は成功しましたが、私が中学生の時、父は亡くなりました。
突然シングルマザーになった母と悲しみのどん底に落ちてこれからどうしたらいいかわからない私たちを祖母は献身的に支えてくれました。
ですが父がいなくなって精神的にぐちゃぐちゃな私は、反抗期などは母ではなく祖母にあたってしまい、何度も喧嘩をしました。お互い頑固なところも似ていました。
あの時は悪いことをしたなとずっと思っています。
それから20年たった今、私も兄も結婚し、子供が生まれ家を出ました。
そしていま、実家には母と祖母が二人で暮らしています。
祖母は84歳ですが、未だに働いている母を支えるためにほとんどの家事を祖母がやっています。
家は出ましたが、うちからは自転車ですぐの距離なので、用事があって今から行くね。と連絡をすると、私が大好きなコーヒーを入れて待っていてくれます。
そして最近は家庭科の先生だった祖母に編み物を習っています。
そして私の子供たちの入園グッズや入学グッズなどはすべて祖母が作ってくれました。子供たちにも私にもセンスのいい服をたくさん作ってくれています。
教師を辞めて、岡山から私たちの面倒を見に来るというのは相当な覚悟だったと思います。
あの時、私たちのために千葉に来てくれてありがとう。おかげで今も楽しいよ。おばあちゃん。
トマトスープ
女性/38歳/千葉県/パート
2021-03-09 14:09
本日の案件
やしろ本部長、浜崎秘書、リスナー社員の皆様こんにちは。
(皆さんの書き込みを読んでいると、心がぽかぽかします。)
本日の案件、私がありがとうと言いたい方は舞台を見に来てくださったお客様です。
10年前、私は舞台の裏方スタッフをしていました。3月11日あの日、夜公演だったので自宅にいる時に地震に遭いました。
状況が飲み込めず、ただただ、劇場に向かう事だけを考えていました。
当たり前ですがその日は、交通手段が全てストップしてしまい劇場に行く事が出来ませんでした。
翌日、劇場に向かい全員で話し合いをしました。結論は「公演を見にきてくださる方がいるかもしれないから本番をやろう」でした。
余震や聞こえてくる被害状況に「芝居をしていていいのか?」と、何度も頭をよぎりましたが、
数名の方が見にきてくださいました。
あの時、「芝居やって良いですよ」とお客様の背中に言われている気がして感謝しながら芝居をしました。
直接、お話は出来ませんでしたがあのお背中に「ありがとうございました」と言いたいです。
ゆきち0302
女性/52歳/東京都/パート
2021-03-09 14:05
10年案件
本部長、秘書、リスナー社員のみなさん、お疲れ様です。
10年前、正確には11年ほど前なのですが…。
当時私は中学1年生。なんの部活に入ろうかと考えていた頃。
「ねえねえ、柔道とか興味無い?」って声をかけてくれたMさんにありがとうと伝えたいです。
それがあったから私は柔道部に入部し、結局、中高の6年間続けました。
大学で柔道部がなかったため、やめてしまいましたが、今でも時々、柔道やりたいな〜って不意に考えてしまいます。
あの6年間がなければ、今の自分はなかったんだろうな〜って感じることがあります。なにせ柔道という競技柄、日々の練習が死ぬほどキツかったので…笑
精神がかなり鍛えられた気がします。
あの時声掛けられてなかったら何してたかな〜。あの場面は今でも鮮明に覚えていて、人生の転機だったんだろうなって思います。
声掛けてくれてありがとうございました。
こんぶ茶のカルシウム
男性/27歳/東京都/会社員
2021-03-09 14:03
本日の案件
皆様お疲れ様です。
今日の案件、私がありがとうを言いたいのは夫です。
私たちは来月4月13日で入籍してちょうど10年になります。
10年前の3月11日、5月の結婚式に向けて少しずつ準備を進めており、当時茨城で一人暮らしをしていた夫の部屋に置いてあった2人で手作りしたウェルカムボードが地震でバラバラになってしまいました。
後日2人でそれを直しながら、大変な思いをしている人が沢山いるのに私達だけ幸せに結婚式なんてしてていいのかな…という気持ちと、私たちが結婚式を予定していたのは東京の海の近くの高層ビルの高層階だったので、万が一大きな余震が起きたら…という不安を話しました。
すると、こんな時だからこそ少しでも明るい話題を届けよう。余震はちょっと心配だけど親族全員集まってるんだよ。そんな機会めったに無いんだから逆に心強いよ!!
と言ってくれ、それもそうだなと思ったので予定通り結婚式をあげました。
あれから10年。子どもも3人生まれ大変なことも色々あるけれどあの頃と変わらない夫のポジティブな考え方に助けられています!!
夏だけ早起き
女性/43歳/千葉県/パート
2021-03-09 13:57
ありがとう
今日の掲示板を読んでいるだけで涙が出てきました
心が疲れている私にとって、じわじわ染みます
リスナー社員のみんなに、ありがとう
ななきゅん77
女性/46歳/千葉県/会社員
2021-03-09 13:55
案件
旦那との出会いが東日本大震災の少し前でした。
ちょうどこの前、出会って10年経つね、と話していて、もうそんなに経つのかと、時の早さを感じました。
出会って結婚して、子どもが産まれて家族が増えて、旦那は出張が多く心身共に辛い時もあり、私も一人での家事育児が多くてお互いよくやってこれたなと、思います。
旦那と今日までがんばってきた自分にありがとう。
じょいふるな母
女性/38歳/東京都/3児の母になっちゃった♪
2021-03-09 13:51
10年案件
本部長 ミルキー 社員の皆さん今晩は(΄◉◞౪◟◉`)
昨日の晩御飯の献立も忘れちゃうし、生ゴミを捨てようと思って持ったまま会社行っちゃう私に
ここ10年を思い出すのはリームー(無理)(●´ω`●)
本部長とミルキーには ポジティブさを貰っているので いつも感謝ですよ
パワーー
スペトリ
男性/45歳/千葉県/パラサイトシングル
2021-03-09 13:51
今日の案件、10年前に言えば良かった「ありがとう」
本部長、秘書、リスナー社員の皆様、お疲れ様です。
私は10年前にアルツハイマー型認知症になり、ずっ~と介護施設で寝たきりの母にありがとうを言いたいです。なぜかと言えば、もう母は父のことも私のことも認知できず、私たちの言葉にも反応しません。今思えば、もっと早く「ありがとう」を伝えておけば良かったです。ここまで大きくしてくれてありがとう。いつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう。高校大学と学費を払ってくれてありがとう。結婚した時、子供が生まれた時、お祝いしてくれてありがとう。伝えたかった「ありがとう」は数え切れません。
今はコロナ禍で面会もできません。たとえ面会しても返ってくる反応はありませんが・・・
私は幼い時、母のことを「母ちゃん」と呼んでいました。「母ちゃん、ただいま、お腹すいたよ~」「また私の好きなコロッケを作ってくれないかな、母ちゃん」「子供たちは素直ですくすく大きくなったよ、また会いに行くよ母ちゃん」
本当に感謝しかありません。母ちゃん、もう一度だけでも笑ってくれないかな・・・母ちゃん。
ヒマリ&ケイパパ
男性/59歳/茨城県/会社員
2021-03-09 13:40
あの時、あの人にありがとう案件
10年前の震災の日。
私は当時5歳の娘と都心に買い物に出かけていました。
1度目の揺れをやり過ごした後、2度目の揺れの時に小さな手芸店の2階にいた私達。
古い建物だったので『これは危険』と思った私は子供を抱いて階段を降りて逃げようとしました。
その時です。
「お母さん!こちらの階段の方が安全です!こちらから外に出て下さい!」と、非難指示を出してくれた若い男性店員さんがいました。
私はすぐにその指示に従い店員さんが示してくれた階段の方に子供を抱いたまま歩き出したのですが15キロ程の子供を抱いて走ることはできず必死で急ぎ足で歩こうとしました。すると非難指示をくれた店員さんが
「お子さんは僕が抱っこしますから!
早くこちらへ!!」
と、私の腕から子供を抱き取り避難用の階段を駆け下りて外の広い場所まで走ってくれたのです。私も一緒にダッシュして安全そうな場所で子供を受けとりました。
お礼を言う私にその店員さんは
「僕はまだ店の中にお客様がいないか確認しに戻りますので!これで!気をつけて下さいね!!」と走り去って行きました。
その日は結局自宅まで9キロの道のりを子供と2人で歩いて帰ったのですが、途中、ビルのガラスが割れ落ちていたり、水道管が損傷したのか階段が滝のようになっているビルなどがあり『帰宅することの危険』も感じたことを覚えています。
後日、その手芸店に出向き、助けてくれた店員さんに改めてお礼を言おうと思ったのですが、もうその人はそこにはいませんでした。
あの時のあの店員さんに
心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
あなたのビッとした非難指示のおかげで私も気合入りました。
余談ですが子供に地震の時の思い出を聞くと「知らないお兄さんに抱っこされてどこかに連れて行かれそうになったことが一番怖かった」と言います。
ニョリマン
女性/57歳/東京都/会社員
2021-03-09 13:38
本日の案件。『おばあちゃん、大好きだよ』
私がありがとうと伝えたい人は祖母です。
この10年間で祖母は認知症を発症して目まぐるしく生活が変わっていきました。
両親が共働きだったため、祖母に面倒をみてもらっていた私はおばあちゃん子でした。
祖母の認知症発症は私にとって青天の霹靂でショックでした。
日に日に、そして年々と症状が進行していき変わっていく祖母を見るのはとても辛かったです。
色々なことを忘れてしまい可愛がってくれていた孫の私の名前も思い出せなくなりました。
それでも祖母に会うと、私の手を取り、「元気かい?風邪引かないようにね」「可愛い子だねー」と優しい言葉をかけてくれます。
祖母の優しさは消えることなくずっと祖母の中に残っています。
認知症で様々なことを忘れてしまいますが、私と祖母の絆は消えることなく永遠に繋がっています。
どうか元気で長生きしてね。私の大好きなおばあちゃん、生きててくれてありがとう。
おばあちゃんの孫に生まれて幸せだよ。
ハチミツたまちゃん
女性/41歳/茨城県/専業主婦
2021-03-09 13:25