社員掲示板
お弁当案件。
本部、秘書、リスナー社員の皆様こんばんは。
私の母は仕出し弁当屋さんを兄弟と経営していて私が物心つく前から朝5時ごろには家を出て帰ってくるのは20時ごろ。
小さい頃は油の匂いが染み付いた母の匂いをいい匂いだと思っていました。頑張って働く母を誇らしく思っていました。
小、中学校は給食でしたが高校に入りお昼ご飯はお弁当になりました。
毎日お弁当のおかずは前日のお弁当屋さんの残り物。天ぷらが残れば天丼、唐揚げなら唐揚げ弁当、豚カツが残ればカツ丼。
今なら朝5時に出勤するのにいったい何時に起きて作ってくれていたんだと感謝しかありませんが、当時の私は16歳ピチピチ女子高生、一緒に食べる学友にガッツリ系弁当を見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて母に丼物弁当恥ずかしいからもう作らないで!!と強く言ってしまいました。
本当にその言葉が恥ずかしい…母は「そっか」と言いそれからは学食で食べてとお金を渡すようになりました。本当ごめんねママ。。。
今私がは2児の母になりました。娘は毎日お弁当を完食してきてくれるのに息子は半分も食べてくれず試行錯誤。
本当に人生は全てのことがお勉強。また母のお弁当食べたいなぁ。
こだちゃん
女性/40歳/東京都/パート
2025-10-22 18:51
お弁当の記憶
皆さん、お疲れさまです。
僕が高校三年生の時の記憶です。学校の授業を終え帰宅すると、母が倒れて病院へ運ばれたとの事。急いで病院へ向かうと脳内出血で、緊急で手術をする事になりました。病院から帰宅し、その日の朝に母が持たせてくれた弁当箱を洗っていた時、弁当を摘めてくれていた母の姿を思い、涙が溢れました。
手術を終えた母が、数日後意識を取り戻し病室へ見舞った僕の顔を見て最初に言った言葉が「お弁当、どうしてる?」でした。生死の境にいた母のその言葉を聞いて、また涙が溢れました。
現在、母は亡くなってしまいましたが、小学校の息子がいる僕ですが、あそこまで愛情を受けてした事は今思い出しても衝撃的な記憶です。
時々、息子が仕事に行く僕の弁当をつめてくれるのですが、やっぱり涙が溢れそうになってしまいます。
タカプリオ
男性/53歳/埼玉県/会社役員
2025-10-22 18:50
案件
みなさまお疲れ様です♪
私が独立する前の会社にいた時代のことです。
当時、彼女と同棲していた先輩のお弁当が恐ろしかったです。
お弁当の包みを開くと、白米だけ入ってる弁当箱と、パック詰めのネギトロと醤油と刻み海苔がセットに。
その日は真夏で、ネギトロは黒っぽく変色していました。
先輩はすぐに捨ててコンビニ弁当を買いに行きました。
翌日、彼女さんにどう対応したのか尋ねると『お弁当ありがとね。でも、実はネギトロちょっと苦手だから今後はネギトロ弁当やめてくれると助かるなぁ』
って優しく言ったとのこと。
実はネギトロ好きらしいのですが、彼女と回転寿司行ってもネギトロを我慢するという、素敵な先輩。
無知とはいえ悪気がない彼女への神対応。
その後2人は結婚にはたどり着かなかったけど、クスッと笑ってしまった先輩のエピソードでした。
街ブラ仙人
男性/43歳/神奈川県/自営・自由業
2025-10-22 18:49
ガレージでお昼ご飯
本部長、秘書、スカロケリスナー社員の皆さん。お疲れ様です!
わが家は息子たちが通っていた小学校の真裏に住んで居ます。
息子たちが通う小学校の運動会ではお昼は校庭や体育館を開放して、お弁当を広げて食べる昔ながらのスタイルです。
なのですが、毎回場所取りが大変なのと弁当箱に詰めたり、洗ったりが面倒って事で昼休憩に入る前に、自宅に戻りガレージにセットしてあるテーブルにお皿を並べてお昼ご飯を食べさせていました。
母たちは片付けしている間に、父たちは昼間っからビールを飲んで楽しい1日を過ごしましたよ。
すぎちん
男性/56歳/東京都/公務員
2025-10-22 18:49
本日の案件 お弁当
本部長、秘書、社員のみなさんお疲れ様です。
本日の案件、お弁当ですが
今でも反省と言うかほろ苦い想いがあります。
私が中学生の時 普段は給食だったのですが給食センターの都合で?お弁当の日がありました。
スッカリ忘れてしまい当日はお弁当を持って行かず学校でお弁当だどわかりかなりあせりました。職員室で電話をかり家に電話すると母はおらず父が居たので母にお弁当を持ってきて欲しいとことづけをしました。ですがお弁当を持って来たのは父でした。教室がわからず職員室に置いって言ったみたいで先生からうけとりました。
お弁当の時間、袋から出したお弁当箱は父のカネの弁当箱でした。友達の前で自分の血の気が引くのがわかりました。恐る恐る蓋を開けると泣きそうにになるくらい恥ずかしかったです。ご飯の上にデーンとシャケ、厚焼たまごが焼けなかったのか右端に目玉焼き、その横に昆布の佃煮、箸すら箸箱に入っておらず友達にはかなり大人のお弁当だねとからかわれました。家に帰って父に文句をシコタマ言いしばらく口もききませんでした。
いま、自分もいい歳になりせっかく作って届けてくれた父にあんな態度を取ったのかと…かなり後悔ですね。
生きている間にごめんなさいと謝っておけばよかったです。
ピンクラクダ
女性/20歳/北海道/会社員
2025-10-22 18:49
本日の案件
本部長・秘書・リスナー社員・スタッフの皆様
お疲れさまです。
本日の案件
『スカロケエピソード大運動会〜私のお弁当エピソード〜』
中学生の頃、母親と喧嘩をして、お弁当を作ってもらえなかった日がありました。
「じゃあ自分で作る!」と勢いで作ったのが、人生初のお弁当。
でも、いざ出来上がると、普段母親が作ってる大変さを実感してなんだか申し訳なくなって…
恥ずかしくて直接謝れないので、母の分まで作ってテーブルに置いておきました。
その日をきっかけに、料理をするのが好きになって、
今でも自分でごはんを作るようになりました。
今ではあの日のケンカにも感謝です!
風の旅人
男性/35歳/神奈川県/会社員
2025-10-22 18:48
案件
本部長、秘書、リスナーの皆さまお疲れさまです。
かなり前の話です。
まだ若かった時、実家の母が作るいくらが大好きでした。
その“いくら”を実家に帰った時に、お土産でもらって来たので、早速翌日のお弁当(いくら丼)にして持って行きました。
その日はウキウキでお弁当を持ち、雨が降っていたので傘、そしてカバンを持って出社しました。
楽しみのお昼の時間になり、“いくら丼”を食べようと準備をしようとしたら“いくら丼”がない!?
でも確かにカバンと傘、お弁当の入った手さげ袋を持って家を出た。
忘れっぽく失くしやすい私は、荷物を3つ以上持つ日は日頃からとても気を付けていて、その日も指差し確認をしたくらいでした。
それならどこで落としたのか??
全く見当も付きませんでしたが同僚に「落としたなら地下鉄かもよ、忘れ物センターに電話して聞いてみたら?」と言われ半信半疑で電話をしました。
そしたら特徴のよく似た手さげ袋が届いてる!と…
そうなんです。どうやら傘と手さげ袋を一緒に持ってたつもりが、手さげ袋だけスルリと落としていたようなんです。
大好きないくら丼がランチに食べられなかったのもショックでしたが、お弁当等の食べ物は忘れ物センターに届いて、確認が終わるとその場で中身を処分するらしく、せっかくその日に取りに行ったにもかかわらず、捨てられた事に二度ショックを受けました。
忘れたくても忘れられないお弁当エピソードの一つです。
どさんこようかん
女性/55歳/神奈川県/会社員
2025-10-22 18:48
明日第一子を産んできます!
本部長、秘書、リスナー社員の皆様、お疲れ様です!
案件と関係なく恐縮ですが、
明日帝王切開で第一子を産んでくることになりました!
掲示板を見ていると、今日第二子を生まれた社員さんもいらっしゃるようで...
本当におめでとうございます、という気持ちと共に、世の母親の皆様に本当に本当に尊敬の念しかありません!!
2週間前まで残業しながら仕事に勤しんで、
資格試験終わらせて、家も片付けて、準備や保活もなんとか終わらせて。
もうあとは明日ケーキ食べてから病院に向かうだけ!やることはやった!と思いますが、
やはり不安な気持ちも大きいので、自分へのエールも兼ねて、いつも力をもらっているスカロケ掲示板に書き込みさせていただきました。
私も皆さんのお母様たちのように、思い出いっぱいのおいしいお弁当作ってあげられる日が来ますように。
世の皆様に続いてもう一仕事頑張ってまいりますので、ぜひエールをいただければ幸いです!
文鳥はおひさまのかおり
女性/32歳/北海道/会社員
2025-10-22 18:47
本日の案件
本部長、浜崎秘書、リスナーの皆様、お疲れ様です!
今日の案件ですが、我が家の息子達のお弁当に欠かせないおかずが「ピーマンの肉詰め」です。
彩り、栄養がピカイチのピーマンをどうにか美味しく食べてもらうには?と考えまくって閃いて10年以上作り続けてます。
お陰で、卒園式に「お母さん、いつも美味しいピーマンの肉詰め作ってくれてありがとう」とお礼メッセージをくれるくらいに大好物になったようです。
息子達の弁当が続く限り、母は作り続けたいと今後も楽しみです。
さだちょん
女性/50歳/山形県/自営・自由業
2025-10-22 18:47
お弁当案件
みなさんのお弁当案件を聞いていて、思いました。
お弁当含めて、温かい愛情のある食事の思い出が、親と何かあったときも、しっかり根付いている親子の支えになってくれてるのかもしれないと。
母と何かあったときも、もう親子なんてやってられるか!なんて思ったときも、母が作ってくれたお弁当の思い出は消えないし、そこから、母が小さいときから私を愛して大切に育ててきた愛情を感じていたのだと思います。
お弁当って、そのまま英単語になるくらい、日本の文化のひとつです。親子を支えるお弁当。もう16年作り続けています。これからも、子どもたちのために、お弁当を作ります。
てつおの母
女性/45歳/神奈川県/専門職
2025-10-22 18:46



