社員掲示板
案件
あの日。私は小学校にいました。
ボランティアの引き継ぎのため
PTA室で作業をしていました。
パイプ椅子は雪崩のように崩れ
急須やお茶碗が戸棚から飛び出して割れ
パパさんソフトの賞状が壁から落ち
パソコンが床に転がるのをヤバい!と抑えた頃。
校内放送で校長先生の声が聞こえてきました。
「地震です、机の下に潜りなさい。
机の足をしっかり持って頭を守りなさい。」
はっきり、力強く、落ち着いた声です。
何度も繰り返します。
先生も揺れて足元がおぼつかないはずなのに
切れ目なく、慌てることなく、ずっと
声をかけ続けてくださっていました。
その声が聞こえるだけで不思議と
恐怖感が減っていくのがわかりました。
こうもおっしゃっていました。
「先生は君たちを必ず守ります。
安心して落ち着いて行動しましょう。」
もちろん私の子どもも教室にいるのですが
この放送を聴いているのなら
心配ないと感じました。
その後は避難訓練どおりに校庭へ出て
保護者が児童を引き取り、帰宅しました。
今でもあの声ははっきり覚えています。
校長先生、ありがとうございました。
べにあずま
女性/57歳/東京都/パート
2021-03-09 16:07
案件
本部長、秘書、社員のみなさま
お疲れさまです。
私は、周りの人にありがとうを言う機会が多く、上司に「君のありがとうはインフレしているねー」と言われたぐらいです。上司に、なんと返答して良いかわからなかったので、「ありがとう」と「すみません」の中間の顔をして逃げきりました。
さて、昔お世話になったバーのマスターにありがとうと言いたいです。20代前半は仕事も上手くいかなかったり、ガンになったり、鬱になったりと、かなり苦しい日々を過ごしていました。
そんな中でも、家族とバーのマスターは、私の心のケアをしてくれました。マスターは一緒にバカな話をしたり、私の話に泣いてくれたり、喜んでくれたり、まさに親身になってくれました。
マスターと出会わなければ、社会人として一人前になって、健康を取り戻すこともできなかったかもしれません。そんな今だからこそ、もう一度ありがとうと言いたいです。
家族にはありがとうを言えますが、そのバーも閉店し、連絡先もわからないので、マスターに感謝の気持ちを伝えることができないです。久しぶりに会いたいなぁ。
おなかヘリコプター
男性/38歳/神奈川県/会社員
2021-03-09 16:06
本日の書き込み…
本日の社員の皆様の書き込みを拝見させて頂いて、それぞれのエピソードが本当に素敵だなと感じました。
そして私自身、もっと自分の周りの人への感謝をしっかりと言葉と態度で伝えていきたいなと思いました。
特に…孝行したい時に親は無し、という言葉がありますが、私は就職とほぼ同時に独り暮らしを始めたので親元には長期休暇の際に帰る程度で、会える日数を数えたらあと丸々1年もあるのか無いのか分からない位かなと思います。
その限られた日数の中で、後悔がないくらいありがとうを伝える事は難しいかもしれないですが、せめていつかするかもしれない後悔を少しでも減らせるように、出来る限りのありがとうと今までの恩返しをしたいなと思います。
お父さん、お母さん!いつもありがとう〜!
みゃん
女性/29歳/東京都/会社員
2021-03-09 16:05
案件
本当長、秘書、スタッフの皆様、リスナー社員の皆様、お疲れ様です。ここ10年を振り返ると、息子と娘が結婚して親戚が増え、さらにおじいちゃんになる事が出来ました。(38才の時)
自分は初婚、妻は再婚で3人の子供がいました。
まだまだ若輩者の自分ですが、家族で笑って泣いて、とても楽しかった10年でした。
こんな自分についてきてくれた妻と子供達、ありがとう!
俺、参上!
男性/48歳/埼玉県/会社員
2021-03-09 16:04
本日の案件
皆様お疲れ様です。
私は愛猫にありがとうと言いたいです。
愛猫のちぃは拾い猫です。
野良時代、家の近くの神社付近に住んでいたのですが、その当時からとても人懐っこくて、通りすがる人に愛想を振りまいていました。
首輪もしてなかったので、多分野良だろうと思っており、会社への行き帰りの際には私も主人(当時の彼氏)と共に可愛がっておりました。
私は当時からとても猫が飼いたくて、彼に「拾っていいかな?ダメかな?」とお願いしていました。
ちぃと出会って1ヶ月。
相変わらず、愛想を振りまいてくれるちぃ。
「連れて帰ろうか」と彼が言ってくれました。
キャリーケースはその時は持っていなかったので、彼が抱っこで連れて帰ることに。
20メートル位抱っこで進むと、暴れだしたちぃ。
当時住んでいた場所は、地域猫が多かったので他の猫の気配を察知したようで、彼の手の中からするりと抜け出て、走り去っていきました。
「やっぱりダメか…」と2人でしょんぼりと帰宅しました。
次の日の夜、いつもの場所に居ないちぃ。
どこかにいったのか、怖がらせてしまったからもう姿も見せてくれないのかと、場所を離れると…
「にゃー」
声が聞こえて振り返ると、いつもと違う場所から顔を覗かせたちぃ。
2人で近づいて「うちに来てくれる?」と聞くとすんなり彼の腕の中に収まってくれました。
「昨日はいきなりだったから、仲間に挨拶できなくて逃げ出したのかな?」等と軽口を叩きながら家に向かいました。
途中、少しだけ逃げたそうにしましたが、無事家に到着。
その後、すぐに家に馴染んで我が物顔です。
あの日から10数年。
今ではすっかりおばあちゃんなはずなのに、まだまだ可愛らしくしっかり主人の奥様役をしています。
朝のお見送りも帰宅のお迎えも夜の添い寝も、ちゃーんとこなします。
書類上の嫁は私なはずなのに…負けてます…
完全にちぃは主人の嫁です。
いつかお別れが来てしまうのかもですが、なんなら超長生きして猫又になって、おしゃべりしてくれたらいいのにな。
ちぃが我が家に来てからは、毎日がもふもふで幸せです。
ちぃちゃん、あの日我が家に来てくれてありがとう。
あふる
女性/39歳/神奈川県/派遣
2021-03-09 15:53
本日の案件
本部長、秘書、お疲れ様です。
私は約10年前、中学一年生の時に国語の先生から「あなたは国語の先生になれると思う」と言われたことに、今でも感謝しています。
当時、国語が得意だった私はこの言葉で、もっと頑張ろう!という気になり、高校も大学も国語が沢山勉強できる所を選びました。
就活生として生活している今は、国語の先生、という選択肢は残念ながら取らなかったのですが、本や文化に関われるようにと出版社や新聞社を中心に頑張っています。
もしもあの時、先生からの言葉がなければ周りに流されてそれなりの気持ちで生きてきたように思います。
先生、本当にありがとうございます。絶対に良い報告をするので、楽しみにしていてください。
ヘルプ出勤があたりまえ
女性/25歳/東京都/会社員
2021-03-09 15:39
10年前のあの日
10年前、前の晩から発熱、朝から診察を受けたところインフルエンザと診断。1回の吸引で済むイナビルを処方され、埼玉県の自宅で寝ていたところに東日本大震災が。結果的に帰宅困難者にもならず、薬の服用も必要なく、家族とともに、あの日からの数日間を過ごすことができました。
3月11日が近づくと、亡くなった多くの方々のご冥福をお祈りしつつ、自分の幸運さをありがたく感じています。
あの日の千太郎
男性/66歳/埼玉県/会社員
2021-03-09 15:37
ありがとう
ありがとう。
10年前、夜中に職場の仲間のご両親が車で迎えにいらしたのに同乗させていただいて、千葉に帰るところをわざわざ遠回りして浅草方面まで送って頂きました。
あのときの方とご両親に、あらためてありがとうございました。
また、その後家に入れてくれて、最寄りの電車が運転再開するまでお風呂と寝床を貸してくれた当時のTwitterのフォロワー、今は連絡が取れなくなってしまって直接言えないけど、ほんとうにありがとう。
あと、移動中から家に帰って週末まで余震が続くなか、あのときずっと冷静に地震に関する情報と、大丈夫だよ、っていう声と曲を届け続けてくれたラジオに、ほんとうにありがとうございました。
今もずっと助けられ続けています。ほんとうにありがとうございます。
央華
女性/38歳/埼玉県/会社員
2021-03-09 15:35
10年のありがとう
お疲れ様です。皆さま。
今回の案件ですが、10年来の付き合いって長いなぁと考えていたら…
今仲良く遊んだり飲んだりしている、タラレバ仲間がもう10年越しの仲でした。
月日は早いですね。
当時23歳だった私と朝から昼まで飲んでくれた後輩の2人。
一緒に働いて、休みの日はみんなで海に行ったり、飲み会をしたり、ずっと一緒にいた2人。
気がつけば、もう2人とも30代。
話す内容が少しずつ変わったり、飲みに行けないこのご時世だけど…
今でも何かあれば連絡を取り合って、叱ったり、励ましたりして過ごしてます。
振り返ると、一瞬の出来事だったけど楽しかったし、実はとても支えられてたんだなと実感。
そしてそんな2人と明日はリモ飲みです!
金沢に行ってしまった子もいるので、久しぶりに3人で会話をします!
10年間の成長を間近で見てくれた大事な友達よ。
いつもありがとう。
これから40.50歳になっても、タラレバしようねー!
レモンくのいち
女性/39歳/神奈川県/自営・自由業
2021-03-09 15:29
あの時、あの人にありがとう
本部長、秘書、リスナー社員の皆さま、お疲れ様です。
僕がありがとうを言いたいのは、一昨年他界した父です。
けっこういい歳までちゃらんぽらんな生活をしていた僕は、真面目で何かと口うるさい父とは昔からよくぶつかっていました。
5~6年ほど前、僕は当時働いていた個人経営の飲食店の社長との人間関係に悩み、独立を考えていました。
でもお金がなかったので、以前から憧れていたキッチンカーをやりたいと思い始めていました。
店舗を持つより格段に安いキッチンカーですが、それでも数百万円はします。
貯金も無かったので、説教をされる覚悟で父に相談したところ、「分かった。金は出してやる」と拍子抜けするくらい静かに言い、ほぼ全額出してくれました。
今思うと、その頃から父の体に癌が見つかっていたようで、もしもの時の事を考えていたのかもしれません。
僕がその事を知るのはもう少し先でしたが。
そして3年前、念願かなってキッチンカーをオープンすることができたのですが、父にはどことなく恥ずかしく面と向かってありがとうと言えませんでした。
もう直接父にはありがとうを言えないけど、父のおかげでオープンさせていただいたキッチンカーで、今ではお客さんに笑顔でありがとうを言っています。
宇宙のユウスケ
男性/47歳/埼玉県/自営・自由業
2021-03-09 15:29