社員掲示板
わたしの3.11
宮城県出身です。当時は高校一年生、授業中でした。最初は何が起きたか分からずだんだん強くなっていく揺れに教室中が混乱しました。校庭へ向かい、吹雪が吹き寒い中迎えを待ったの覚えています。ラジオから徐々に被害が拡大していくのがわかり、断水、停電、ガソリンスタンドには長蛇の列。夜中も続く余震の中蝋燭の火を眺めてました。現実だけど非現実的。街が真っ暗で星はすごく綺麗に見えました。今は東京で看護師をしています。コロナのような感染症でこんな生活になることなんて考えてませんでした。あの時の地震だってそうです。いつ何が起こるかなんてわからない。だからこそ周りの人を大切に、自分を大切に。後悔ない人生を送っていきたいです。
メイ子さん
女性/31歳/東京都/会社員
2021-03-11 16:25
いつかその日が来ることを願う
震災当時、私は福岡にいたので揺れなど微塵も感じず速報で震災を知ることに。
津波の映像、東北の街の状況を見て同じ日本の出来事なのかと衝撃を受けました。
私は震災の6年前に福岡西方沖地震で震度6弱の揺れを経験。
あまりの揺れの大きさに驚き、不安になり、でも何もできなかった事を鮮明に覚えています。
今から5年前の熊本地震では親戚家族が被災し仮設住宅での生活を強いられました。
その1年後には福岡・大分の集中豪雨で甚大な被害が出ました。
九州だけでなく地震や台風、豪雨災害が全国で毎年のように起きています。
人間は自然災害には敵わない。
だけど1日でも早く日本に"被災地"と呼ばれる地域が無くなりますように。
錦糸卵禁止
男性/35歳/東京都/会社員
2021-03-11 16:19
ハッピーバースデー
本部長、秘書、社員の皆様、お疲れ様です!
本日誕生日を迎え、三度目の年男を迎えることになりました。初投稿です。
流石にこの歳になると、昔ほど誕生日を迎えてヒャッホーイとはなりませんが、多少ソワソワしている自分がいます。
そんな誕生日を迎えた中で特に思うことは、「3月11日が誕生日のちびっ子達って、ちょっと暗いバラエティー特番を観ながらハッピーバースデーを祝ってもらうのかな?」ということです。
10年前のあの日起こったことは風化させちゃいけないし、危機感を持って過ごす事は勿論大切です。
ただあの日産まれた命があり、この10年の中の3月11日が誕生日っていう子供達もいるはず。
「僕の、私の誕生日!みんながお祝いしてくれるのに、テレビから流れてくるのはなんだか辛い感じの特番‥。」って空気になってたら可哀想だよなと、勝手にすげぇいたたまれない気持ちになってます。私、独身ですけどね‥
本部長!秘書!そして社員の皆様!
私個人じゃなくて構いません。
今日誕生日の人達みんなに行き渡るようなおめでとう!を唱えていただけたら嬉しいです。
まぁまぁのまぁさん
男性/40歳/東京都/会社員
2021-03-11 16:16
10年
10年前の今日
仕事を辞めて有給消化中で次の仕事を探してました
不採用が続き不安で
お金もなくて
食べる物もなくて
小麦粉水でといて焼いただけの物を食べてました
そんな中 震災で地元も津波で被災して帰れなくて不安しかなかったです
10年後の
今日
コロナで仕事も減少して貯金切り崩して食べ物には困らずなんとかやってます
新しくバイトも決まったのでやる気と不安が入り混じる心模様です
今でも春になると心がざわつくというか
心が風邪をひいて
少しだけしょぼんとします
いのにゃん
女性/39歳/東京都/アルバイト
2021-03-11 16:16
本日の案件
本部長、秘書、リスナー社員のみなさま、お疲れ様です。
10年目の3月11日はお天気がいいですね。
みなさんの投稿を読んでいると、自分も当時いた相模原の職場でのことが思い出されます。
すぐに電車が止まって帰れなくなりましたよね。
仕事場の床に段ボールを敷いて、同僚たちと自分のダウンをかけて一晩過ごしたことを思い出します。
やっとのことで家に辿りついても、しばらくは余震が怖くて夜は服を着て、靴を枕元に置いていたり、
おにぎりをたくさん作って計画停電に備えていたり。
電車が動くようになっても、灯りを消して間引き運航をしているので、時刻表が役に立ちませんでした。
あの経験は、みんなきっと忘れたくても忘れられないですよね。
あの時から、東北の人たちは震災以後という時間を生きることになりました。
まだ各県で行方不明者が数千人という状態です。
そして、東北以外にも震災の関係者がいるよ、ってことを知ってもらえると。
あなたの近くのひとがそうかもしれません。
あの晩はネットでニュースが24時間ずっと流れていましたね。
あの頃からでしょうか、ネットニュースやSNSがかかせないものになった気がします。
ぶーすか
女性/59歳/東京都/派遣
2021-03-11 16:14
忘れられない事
本部長、秘書、リスナー社員の皆様
はじめまして、初書き込みです。
私の忘れられない事は、震災があった事は勿論なのですが、震災当初…笑う事が出来なくなって居ており、見えている世界もモノクロでした。
それは、被災地や苦しんでる方がいるのに自分達だけが自分が笑って居て良い状況では無いと感じたからです。
しかしその年の年末…無理矢理、友人に誘われたイベントでの出来事ですエンディングを迎え出演者一人一人の挨拶での事、ある方の一言で一瞬にして世界が色付いた事を10年経った今でも鮮明に覚えています。
「生きているんだから、生きている僕らは笑顔で居て良いんだよ」by鈴村健一さん
※的な内容でした。
その言葉を聞いた瞬間涙が溢れて止まりませんでした。
…生きているからこそ、元気に笑顔で過ごせるよう頑張らねばならないのだと良い事に気付かされました。
この場合を借りて10年越しに…鈴村さん本当にありがとうございました‼︎
たつき
女性/41歳/神奈川県/アルバイト
2021-03-11 16:14
出社しました。
本部長、秘書、皆さま、今週ラストですね。
今日はしっとりした会議になるのかな。
よろしくお願いいたします。
シロノス
男性/43歳/佐賀県/自営・自由業
2021-03-11 16:08
本日の案件
お疲れ様です。
本日の案件、10年間で忘れたいこと忘れたくないことなんて山ほどあるのに、どうしても今日が3月11日だから思い出してしまいますね。
あの日、東京の家にいたけど信じられないくらい大きく長い時間揺れ、怖くて急いで飼ってた犬を抱え机の下に隠れたの覚えてます。テレビから流れる地震速報と津波警戒のマークがずっと続いて、衝撃的な映像が流れ、楽しかったはずのテレビが怖かったです。
でもラジオをつけたら聞き慣れた声で「頑張ろう」って言葉と音楽がずっと流れてて、それだけで心が安心できました。
あの日のこと、怖かったこと、大変な思いをした方、亡くなった方、見つからない方、会えなくなってしまった方が沢山いたこと。
無理して忘れなくていいと思うし、むしろ私は忘れたくないことです。
またいつ同じことが起こるかもわからない、何が起きてもおかしくないからこそ、あのときみんなで助け合って頑張ろうと生き抜いたことは絶対忘れたくないです。
今もコロナで日本中、世界中が大変になってるけど、こんなときこそあのときみんなが頑張ろう、生きようとした気持ちを思い出したいです。
ぽてとま
女性/33歳/東京都/アパレル
2021-03-11 16:07
10年経って思うこと
本部長、秘書、リスナー社員の皆さん、お疲れ様です。
生まれてから2017年まで福島県の福島市というところで暮らしていた、すがわらみやぎといいます。10年前の私はバツイチの36歳、気ままな独身貴族とか言いながら浮ついた感じで、仕事は長距離ドライバーをしていました。福島市は海から離れた場所なので津波被害もなく、地震の被害も沿岸部に比べると少ない場所でした。
しかし、メルトダウンとか放射線がどうとか、テレビや小説の中の話と思っていたのに、10年前のテレビが映す映像は原発が煙をあげて爆発する場面。
それが自分のすぐ近くの現実なんだと知り、とても恐ろしくなりできるだけ遠くへと新潟県まで車で逃げたことを思い出します。
あれから10年、「オレもだいぶ逞しく鍛えられたなぁ」と思ったりします。
何が正解なのかわからないまま、被曝という言葉を考えつつも福島に戻り、仕事を続けました。
東日本大震災直後はカタカナ表記の「フクシマ」が世の中に定着して、たくさんの善意とたまに少しの悪意と差別をもらいました。
あれから10年の間にもたくさんの災害が日本では起きました。そのうちの何ヵ所かには災害支援物資を運ぶ仕事もさせて貰いました。
そして、最近でいえばパンデミック。パンデミックなんて自分が生きている間に起きるはずない…なんて勝手に思っていたのに現実的に今の世界は新型コロナウィルスと戦っている。
なかなか予測不能な現実世界だけど、まだオレはきちんと生きているし、きちんと笑えている。
しかも結婚までして奥さんと子どもと暮らしている。そして、出来るだけこの先の未来が明るくなるように少しの努力をする。
今まであった困難のおかげで強くなった事を自覚できるから、そう考えれば今までの10年も私にとっては悪いことばかりではなかったと今日、思っています。
最後にスカロケはたぶん、始まった当初から聞いています。今は長距離ドライバーの仕事をやめましたがradikoで毎日聴いているヘビーリスナーです。私が頑張ってこれた10年の中でスカロケに助けてもらえた事は何度かありました。本当にありがとう。
すがわらみやぎ
男性/51歳/宮城県/会社員
2021-03-11 16:06
私の3.11案件
やしろ本部長、浜崎秘書、スタッフの皆さま、リスナー社員の皆さまお疲れさまです
今日誕生日の甥っ子がいます
そして、福島の知り合いは、あの時原発の真下に居た人や、今も自宅に帰れずにいる人も居ます
「どんなです?」と聞くと、「何が大変って、長靴の中が汗でたぷたぷになっちまう事だぁ」などと明るく言って、自宅や地域の草刈りとか整備をしながら、廃炉に向けての作業をしています
様々な人が居て、私達に出来る事は限られていますが、このような機会にほんの少しでも、防災や危機管理や支援などを考える事ではないでしょうか
そして「人に優しく」という気持ちを持ち続けて行けば、それが波紋のように広がり被災した方々に届くと思います
若者よ穏やかな国にしてください
ダメなオトナからお願いいたします
シャカリキらくだ
男性/67歳/長野県/自営・自由業
2021-03-11 16:05