社員掲示板
10年前の今日
10年前、まだ私は5歳でした。
そして、10年前の今日地震が起きた時、私は幼稚園で帰りのバスを待つために教室で遊んでいました。地震が起きた瞬間は当時地震というものを知らなかったので何かが起きているというだけの感覚で、みんなが真ん中に集まっていたことに気づいてやっとなんか危険な事が起きていると理解出来ました。幼稚園にいた人達で近くの公園に避難し、何度も揺れる地面に身を寄せて耐えていました。家族がいない。何かわからないけど地面が揺れている。不安と恐怖の中に疑問が混じり、とても複雑な気持ちでした。その後、迎えに来てもらって家に帰りました。その日テレビではずっと地震のことが流れていました。中でも津波が何時に来る可能性があるので避難してください。という情報にすごく怯えてじっとテレビを見続けたことを今でも覚えています。
でも、私が感じたていた恐怖や不安は東北の方々に比べたらとても小さなものだったと思います。大事な人をなくされて、計り知れない悲しみに襲われた方も沢山いると思います。今、私達学生にできることってなんだろう?当時、石巻の中学生が率先して避難したということを社会の授業で学びました。私達もいざとなった時、冷静に率先して避難できるようにしたいなと思います。
欅と櫻の森
女性/19歳/千葉県/学生
2021-03-11 14:21
あれから10年…
お疲れ様です。
当時、外にいた私は電柱がメトロノームのように左右に揺れているのを目撃し、これは只事ではないと感じたことを今でも覚えています。
たくさんの命や大切な場所が失われたこともありますが、たくさんの人々の善意や優しさに気づかされた10年でもありました。
まだ今現在、仮設住宅にお住まいの方や行方不明のままの家族、それ以外にもたくさんの課題がまだまだ残されています。
決して風化させないためにも、3.11を忘れないように、当たり前のように明日が来ないことを教えてくれた震災でもあります。
今、生きている私達に何ができるのか。
何をすればいいのか…毎年この日になると答えの出ない自問自答をしてしまいます。
世田谷のいちろう
男性/50歳/東京都/運送業/個人事業主
2021-03-11 14:20
本日の案件
10年前の震災後、毎日の余震で三半規管がおかしくなり、毎日めまいが起こりました。病院に行っても解決せず、たまたま行った東日本橋にある薬研堀不動院で護摩焚きを体験し、般若心経を唱えたら、スコーンと何が抜けて、元どおりに回復しました。あの原因不明のめまいは、何だったんだろう?
二階からくすぐり
男性/59歳/東京都/会社員
2021-03-11 14:07
案件
本部長、秘書、リスナー社員の皆様お疲れ様です。
10年前。
被災地の様子をテレビで見ていたら、小学生くらいの男の子が母親の安否が確認できないといい叔母さんと探していましたが、お母様は車の中で亡くなっている所を発見されました。
泣きじゃくる叔母様の横で男の子が
「良かった...お母さんで」と言ったのを10年たった今でも忘れられません。
お母さんが見つかって良かったといったニュアンスではありましたが、まだ幼い子が泣くことも無く、親の死を受け入れている姿に、どれだけ凄惨な光景を見ながらここまで来たのだろうと思うと
自分の無力さを呪いました。
名前も知らない彼の今を知る由もないのですが、どうか楽しく幸せな今を過ごしてくれていたらと願います。
ちょちょ丸
女性/34歳/東京都/技術職
2021-03-11 14:00
3.11
本部長、秘書お疲れ様です。
10年前はまだ中学生でした。
その頃は北陸に住んでいたため
あまり揺れは感じませんでした。
テレビを見て事の重大さに
気付き胸が痛みました。
10年経ち振り返ると
私は、毎年Yahooで3.11と
検索することしかできてなかったな
と思います。
改めて、今後は
困った人の役に立てるよう
1歩踏み出していければと
思いました。
まんぼーひらの
----/28歳/東京都/会社員
2021-03-11 13:59
10年経って今思うこと
10年前の震災時もそうだし、去年から続くコロナ禍の今もそうだけど、買いだめ、買い占めするのってどうかな?と思います。
被害がさほど大きくなかった都内近郊の地域、僕の住む埼玉県でも殆どのコンビニやスーパーから品物が一斉に消えました。
不安になる気持ちは分からなくもないけど、カゴいっぱいに食料や水を入れてレジに並んでる人たちの姿を目の当たりにしたら「自分達だけがよければそれでいい」と言ってるように思えて悲しい気持ちになりました。
大抵そういう地域って大丈夫なんですよね。
普段から水や食料の備蓄、賞味期限が近くなったら食べ、また買い足すという「ローリングストック」が普段から大事なんだと思いました。
宇宙のユウスケ
男性/47歳/埼玉県/自営・自由業
2021-03-11 13:55
3月11日
あの日、食料を求めてごった返してるコンビニ店内、自分も含めて皆んなが我先にと血眼になって店内を物色する側で、空っぽの買い物かごを持ったまま1人途方に暮れていた見ず知らずのおばあちゃんを見かけた時にハッとさせられました。
偽善者と言われようが、僕は人に優しく生きていこうと決意した、忘れてはいけないあの日の記憶です。
犠牲者の方々へ改めてご冥福をお祈りします。
あした天気になあれ
男性/51歳/茨城県/自営・自由業
2021-03-11 13:54
本日感じ案件 3.11
本部長、秘書、社員の皆様お疲れ様です。
rin2(リンツー)です。
2011年3月11日の夜、疲れ果てた私に飴を食べさせてくれた錦糸町のTSUTAYAのお姉さんに、お礼を言いたいです。
当時、地方の大学から東京の会社に就職することになった私は、3/11に就職先の内定者研修のために、ちょうど東京へ来ていました。
まだ東京に家を借りていなかった私は、その夜、当時錦糸町に住んでいた友人の家に泊めてもらう約束をしていました。
夜まで会社で待機させてもらったあと、他に行く場所がないので、錦糸町まで歩いていくことにしました。
リクルートスーツとパンプスのまま、同じ都内とはいえ、何時間も歩き続けて、途中のお店にはもう1つも食べ物が残っていなくて、クタクタになりながらなんとか錦糸町駅の近くに辿り着いたとき、私は気づきました。
友人の家が錦糸町のどこにあるのか、具体的な場所を知らないこと。
そして、携帯が全然つながらず友人と全然連絡が取れないこと。
不安と疲れでボロボロになりながら、「もう怒られてもいいや…」と思い、偶然目に入った雑居ビルに入って廊下に座り込みました。
しばらく座っていると、目の前にあるTSUTAYAから店員さんが出てきて、「こんなものしかありませんが…」と言って飴を5粒くらい差し出してくれました。
その日ほとんど食べ物を口にしていなかった私には、その店員さんが神様に見えるくらい感激して、ちょっと泣きそうになりながらその飴を食べました。
金太郎飴みたいに、可愛い絵が描いてある飴でした。
あの時の飴の甘さは、一生忘れません。
あの時、飴を差し出してくれたTSUTAYAのお姉さん、本当にありがとうございました。
rin2
女性/36歳/東京都/会社員
2021-03-11 13:49